曼陀羅寺書院
- 所在地 前飛保町
- 所有者等 曼陀羅寺
- 種類 建築物
- 指定年月日 昭和37年6月21日
曼陀羅寺の書院は、正堂の裏手に続く建物で、付書院のある客間です。間口は12.4メートル、奥行きは11.4メートル、寄棟造の銅板葺きの建物です。寺伝によれば文禄元年(1592)の建立といいます。様式は室町風の建築で、柱の稜は大きく面がとってあり、欄間は大きく広く、明障子もはめられ、天井は高くできています。昭和41年解体修理が行われました。四方に入側がつき、内部は四つの部屋に仕切られています。最初の部屋は鷹の間、次は鶴の間、一番奥の部屋は最も上席で、上欄の間といいます。床がつき付書院(縁側へ張り出し、前に明障子を立て机を作りつけた形)になっています。この外に控えの間があります。
この書院は江戸時代には、常に巡見使の接待に使われました。巡見使は将軍の命により、代がわりごとに遣わされ、諸藩の政治や民情を視察した一行です。この地方では朝、犬山を出発し、この書院で休息をし食事をとり、更に一宮を経て、宿泊地の萩原へ向かいました。また、この書院は慶長5年の関ヶ原の戦のおり、徳川方の武将、池田輝政らが、戦会議を開いた所です。その後、輝政らは河田の渡しを越して岐阜城を攻めました。
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