徳川忠吉書状
- 所在地 前飛保町
- 所有者等 曼陀羅寺
- 種類 書状
- 指定年月日 昭和47年2月8日
徳川(松平)忠吉は家康の子で、二代将軍秀忠の弟にあたる人物です。関ヶ原の合戦後、尾張へ封ぜられ、清洲城に入りました。
この書状は慶長11年(1606)、知多郡で湯治していた忠吉に、曼陀羅寺がお見舞いに枝柿を送ったことに対しての礼状で、「湯治の御見舞のため、使僧および枝柿が到来しよろこんでいる。なお家臣の原田右衛門からも申し述べさせる。」という意味のことが書いてあります。
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