徳川忠吉書状

ページID 1004038  更新日 令和2年1月17日

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  • 所在地 前飛保町
  • 所有者等 曼陀羅寺
  • 種類 書状
  • 指定年月日 昭和47年2月8日
写真:徳川忠吉書状
縦 18.1センチ 横 54センチ

徳川(松平)忠吉は家康の子で、二代将軍秀忠の弟にあたる人物です。関ヶ原の合戦後、尾張へ封ぜられ、清洲城に入りました。
この書状は慶長11年(1606)、知多郡で湯治していた忠吉に、曼陀羅寺がお見舞いに枝柿を送ったことに対しての礼状で、「湯治の御見舞のため、使僧および枝柿が到来しよろこんでいる。なお家臣の原田右衛門からも申し述べさせる。」という意味のことが書いてあります。

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